コラム:AI時代に差をつける、唯一の方法
情報このコラムについて
「AIが使えること」は、遠からず差になりません。では何が残るのか。noteに書いた記事を、このマップの読者向けに整えました(初出:note「AIコンサルタントの日常」2026年)。
「AIを使いこなせれば差がつく」という話は、あと数年で通用しなくなります。
スマートフォンが出た頃、「スマホを使いこなせる人」は確かに目立ちました。でも今、「スマホが使えます」は履歴書に書く項目ですらありません。AIも同じ道を辿ります。使えることが前提になって、差がつかなくなる。
問題は、その先です。
3つのフェーズが順番に来る
AI活用の格差は、3段階で移動していきます。
最初は「情報格差」。AIを知っている人と知らない人の差です。ChatGPTの使い方を知っているだけで、会議の場でちょっと頼りにされるフェーズ。これはもう終わりかけています。
次に来るのが「AI活用格差」。プロンプトを工夫できるか、ワークフローを組めるか、繰り返しの仕事を自動化できるか——という差です。今はここにいる人が多い。業務効率化の需要は、しばらく続くと思います。でも、これも長くは続きません。ツールが簡単になるほど、操作の差は縮まっていくからです。
そして3つ目が「ナレッジ格差」。これは社内で持っている情報だけではありません。社内情報は、隣の同僚もアクセスできます。私が言いたいのは、あなた独自のナレッジで、AIに渡せるものが何かあるか、という差です。これだけは、ツールが進化しても埋まりません。
社内AIが「全員に同じ答え」を出す時代
少し先の話をします。会社の中でも使えるAIが導入され、社内文書を全部読み込んで、誰でも出力できる状態になります。
社内でも情報は平等になります。マニュアルも、過去の議事録も、他部署の事例も、全員がAIに聞けばアクセスできる。そのとき「情報を知っていること」では差がつかなくなります。議事録が書ける、きれいな資料ができる、事務作業が早い——AIをうまく使えることも、当たり前になる。会社で契約しているAIが、誰でも同じクオリティで出してくれるようになるからです。
そうなったとき、個人として何が残るのか。
差がつく3つのもの
社内AIが均等に情報を配っても、手が届かないものが3つあります。
① 自分の解釈・判断のログ。 会議の議事録はAIが読めます。でも「あのとき自分がどう判断したか」「あの選択の裏にあった迷い」は、どこにも残っていません。あなたが書いておかない限り、永遠に存在しない情報です。その積み重ねが、「同じ情報を渡したのに、なぜかAIへの相談の質が違う」という差になって現れます。
② 社外の越境知識。 会社のAIは、会社の中の情報しか読んでいません。自分だけの価値観、経験、他業界の事例、異分野の本から得た発想——こういうものは、外に出て動いた人間しか持っていない。AIに渡せるインプットの幅が、そのままアウトプットの幅になります。
③ 問いを立てる力。 AIは答えを出しますが、「何を聞くか」は人間が決めます。同じ情報を持っていても、「今期の売上を教えて」と聞く人と「なぜ3月だけ伸びているのか仮説を出して」と聞く人では、得られるものがまるで違う。問いの質は、その人がどれだけ考えてきたかの蓄積から来ます。
だから、記録が必要という話
私は日頃から、ジャーナリングや日記など、いくつかの形で記録をしています。「日記を書きましょう」というと身構える人が多い。でも今、記録の意味が変わっています。
自分の解釈や判断を書き残すのは、いい習慣のためではありません。記録やメモがそのまま、AIへの「燃料」になるからです。書いてさえあれば、AIが整理してくれる。「今日の打ち合わせ、なんか手応えが違った」という一行でいい。書いていなければ、その解釈や感情をAIに渡しようがありません。頭の中だけにあるものは、使えないのです。
AIを使えることは、あと数年で差にならなくなります。でも、自分が積み上げてきた経験・判断・視点は、誰にもコピーできない。それをAIに渡せる形で持っておくこと——それが、社内AIが全員に情報を届ける時代でも、個人として差がつく、ほぼ唯一の方法だと思っています。
今日すぐできることは小さい。打ち合わせのあとに「今日感じたこと」を3行書く。それだけでいいのです。
「あなただけのナレッジ」をAIに渡す実務は ナレッジの渡し方・ナレッジの育て方 へ。記録を貯める置き場は Obsidian(第二の脳) で扱っています。